徳島地方裁判所 昭和39年(わ)195号 判決 1969年3月20日
被告人 中尾弘 外二名
主文
被告人中尾を罰金一〇、〇〇〇円に、
被告人岩佐を懲役二月および罰金一〇、〇〇〇円に、
被告人福田を罰金一〇、〇〇〇円に、
それぞれ処する。
被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、それぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
被告人岩佐に対し、この裁判の確定した日から二年間、その懲役刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中、被告人中尾、同福田が、昭和三九年四月一日午後七時ごろ、徳島公共職業安定所庶務調査課室において、佐藤元雪に対し、共同して暴行を加えた、との点(公訴事実第一の一)については、右被告人両名は無罪。
理由
第一部 職業安定所との交渉に関すること(公訴事実第一関係)
第一章 事実ならびに証拠
第一節 全日本自由労働組合の組織と被告人三名の地位
全日本自由労働組合(以下自労という。)は、失業対策事業に従事する日雇労務者(以下失対労務者という。)を中心として結成された全国単一の労働組合であつて、東京に中央本部が置かれ、各都道府県に支部が設けられ、さらに各市町村職業安定所ごとに対応して分会が組織されているものである。
被告人らは、いずれも、本件当時自労の組合員であつて、被告人中尾は自労徳島県支部徳島分会(以下分会という。)の書記長、被告人岩佐は同分会春闘臨時闘争委員会副委員長、被告人福田は同分会厚生部副部長であつたものである。
(右事実は、(証拠略)を総合して、これを認める。)
第二節 本件発生に至るまでの経緯
昭和三八年七月八日公布された職業安定法及び緊急失業対策法の一部を改正する法律により、主として、中高年齢者等に対する就職促進の措置を強化してその失業対策事業(以下失対事業という。)への雇入れを極力避けること(職業安定法第二章の二、緊急失業対策法第一〇条第二項)、従来の失対事業については、その事業の適正な運営を図るため、事業主体においてあらたに運営管理規程を定めること(緊急失業対策法第一一条)、さらには、失対労務者に支払う賃金についても、同一地域における類似の作業に従事する労働者に支払われる賃金を考慮して地域別に、作業の内容に応じて定めること(同法第一〇条の二)などの改正が行なわれ、同年一〇月一日から施行された。労働省では、右改正に伴ないその実効を期するため、職業安定所において、従来、一ないし数日単位で、しかも各作業現場ごとに失対労務者の就労紹介をしていたのを、「事業主体が自主的に失対労務者の能力を考えて適切に就労配置を行ない且つ作業内容、能率等に応じ適正な賃金支払を行なうことができるようにし、事業主体にとつては同一人を継続して雇入れる利便、失対労務者にとつては同一作業現場へ直行して就労できる利便、職業安定所にとつては職業紹介業務を簡素化できる利便を図る」という理由により、爾今、一か月単位で(長期紹介)、しかも事業主体(県、市)ごとに(一括紹介)紹介する方法に切換えることとし、関係機関に対し、長期紹介は遅くとも同年一一月から、一括紹介は同様翌三九年四月一日からそれぞれ実施するよう通達した。
これについて、自労は、右改正が、賃金合理化により失対労務者の中にこまかい差別をもちこんで賃金の低落化を図るものであり、運営管理規程により失対労務者を完全にしめつけて労働強化を招来するものであり、さらには、自労組合員らが紹介を受けるため一堂に会する機会を少なくしてその活動を弱化させるものであるなど、要するに、失対事業を、一般企業と同様の採算率を重視する事業に変質させ、これに耐え得なければ失対労務者を失対事業から脱落させるという失対事業打切り政策のあらわれであり、自労を弾圧し、失業者の生活を奪うものであるとして、改正当時から強く反対していた。
しかし、労働省その他関係機関においては、前記改正法の完全実施の方針をすすめ、失業対策事業賃金審議会の答申に基づき、昭和三九年四月一日以降失対労務者に支払う賃金を、作業区分、応能区分によつてこまかい段階に分類した新賃金日額表によつて定め、徳島県における関係当局も同年三月末日ごろ分会執行部に対し右日額表の実施を通告した。これに対し、分会側では、徳島市など事業主体と交渉を行ない、一律賃上げを要求するとともに、同年三月末日現在の賃金の最低額以下の段階に格付けしないよう要請したが、交渉は妥結しなかつた。
そして、徳島公共職業安定所(以下職安という。)においては、前記通達に従い、同年四月一日から一括紹介の方法を採ることとし、同年三月三〇日ごろ、同月三一日、翌四月一日の二回にわたつて四月分の就労紹介を行なう旨分会組合員らに通告した。もつとも、職安としては、前記通達が発せられた当時から事業主体である徳島県(徳島県土木事務所)および徳島市に対し一括紹介の受入方を一応申入れてあつたが、徳島市からはようやく了承を得たものの、徳島県土木事務所からは、失対事業関係の職務担当職員が不足で受入態勢ができないとして従来どおりの紹介を希望され、三月末ごろに至つても一括紹介受入の了承を得られなかつたため、右両日にわたる紹介は、名目的には一括紹介とするが、実質的には従来どおり現場ごとに紹介する方式を採ることとしていたものである。
これに対し、分会としては、もともと一括紹介は職場の選択権を奪われることになるほか、組合弾圧につながるものであるとして不満であつたけれども、生活を維持するため紹介を受けること自体は仕方がないものとし、ただ、三月三一日の紹介については、たまたま同日徳島市と賃金交渉をすることになつていたので、その妥結をみない段階で紹介を受けるのは交渉上不利になると考えて、これを受けなかつた。
ところで、分会組合員らは、前記のように賃金交渉が妥結するには至つていなかつたが、翌四月一日には、前月分の紹介が切れたため、新たに紹介を受けなければ就労できない立場に立たされていた関係上、同日早朝から職安徳島労働出張所のたまり場に集つたが、当日は雨天であつたため、事業主体、職安、分会役員が交渉の結果、不就労日(あぶれ)とし失業保険金が支給されることになつた。しかし、分会側では、あぶれ自体は了承したけれども、あくまで当日紹介を受けることとし、被告人三名を含む分会幹部が職安所長住友義春および失対労務者就労紹介事務の責任者である職安徳島労働出張所長佐藤元雪に対し当日紹介方を要求した。これに対し、右住友、佐藤両所長は、たまたま前日に引続き分会側が徳島市と賃金交渉を行なうことになつていたことから、紹介は、それが賃金問題と関連するものであるから、その交渉の結果をみたうえで、行なう方がよい旨答え、先にその交渉を行なうようすすめた。そこで、右分会幹部としては、紹介は当日中に受けられればよいと考えてこれを了承し、右の賃金交渉に入つた。
ところが、その間、職安側は佐藤所長が中心となつて徳島県土木事務所側に対して強力に説得を続け、当日午後二時三〇分ごろに至つてようやく同事務所側から一括紹介受入れの承諾をとりつけた。そこで、職安側は、にわかに予定を変更して、前記のような事業主体ごとの完全な一括紹介方式を採ることとしたが、そのためには、徳島県土木事務所において現場配置、賃金格付等に関する資料の作成その他の準備を必要とし、職安側においても一括紹介により分会側から苦情が出ない方策を講じる必要があつたため、これら準備の都合で、当日は、失業保険金を支給するにとどめ、紹介については翌二日に延期する方針を固めた。そして、佐藤所長から分会副委員長磯野利則に対し「三時から保険金を支給する、紹介は明日にしたい」と申入れたところ、同人は他の役員と相談する必要があり自分一存で即答できない旨答え、結局、当日午後三時に至つても分会側から右申入れに対する承諾の意思表示はなされなかつたが、職安側は右申入れどおり午後三時ごろから分会組合員らに対し保険金の支給を開始した。
一方、前記のとおり賃金交渉に当つていた委員長山田晴夫以下分会幹部は、当日中に紹介は受けられるものと思い込んでいただけに、磯野副委員長や組合員から紹介は延期するとの職安の方針を聞いて意外に思つたが、協議のうえ、もともと分会組合員らは当日紹介を受けるためにわざわざ集まつて長時間にわたり待機しており、また、前記のとおり職安側に紹介方を要求してあつたものであるから、あくまで紹介を受けるべきであるとし(なお、この段階に至つて、当日中に従来の方式で紹介を受けて各現場に就労すれば、前記の新賃金日額表の適用で、賃金低下、賃金不均衡の結果が如実にあらわれることが予想されて、賃金交渉上、組合に有利な好個の資料が得られるかも知れない、という戦術的なことも考えた。)、午後四時三〇分ごろ、右委員長の指示により、書記長である被告人中尾が中心となつて住友、佐藤両所長に対し当日紹介方を重ねて要求した。しかし、同所長らは「今から紹介するとしても、紹介事務を処理するたまり場には電気設備がないし、また、今朝紹介する予定のものと若干様式も変つたので、準備を要することになつたから、今日は紹介できない」といつてこれを拒んだ。そこで、被告人中尾ら分会幹部は、右両所長に対し、早朝から集まつて長時間にわたり紹介を待つている組合員らに当日紹介できないことの説明をするよう要請し、両所長がたまり場に赴き組合員に右同様の説明をしたが、組合員らは納得せず、強硬に紹介を要求した。
そして、さらに、午後六時ごろから、被告人中尾その他分会役員や組合員多数が職安庶務調査課室で住友、佐藤両所長と交渉を続け、その際、後述のような若干の紛糾があつたが、結局、両所長は前記同様に当日紹介を拒否したので、被告人中尾らは両所長に対し再び組合員らへの説明とその納得を得させることを要請した。
(右事実は、徳島県厚生労働部長作成の「失業対策事業紹介対象者の紹介業務について(通知)」と題する書面(中略)を総合して、これを認める。)
第三節 罪となるべき事実
第一 被告人三名は、以上のような経緯で、同日午後七時三〇分ごろ、前記住友義春、佐藤元雪両所長が、徳島市幸町付近の徳島自治会館玄関前に行き同所の階段で再度組合員らに対し説明を行なつた際、右階段北方の道路に集つた組合員五、六百名とともに両所長を取囲んでこれを聞いたが、組合員らがそれに納得せず、口々に「紹介せよ」などといつて騒然となつたことに応じ、
一、午後七時五〇分ごろ、被告人福田が携帯用拡声器(昭和四〇年押第四六号の一)の拡声器の部分を持つてこれを前記佐藤所長の右耳もとに近づけ、被告人中尾がマイクロホンの部分を持つて組合員と呼応しながら「紹介せよ紹介せよ」と二、三十回怒鳴りつけ、その結果拡声器を通じて同所長をして耐えられずに手で耳を掩わしめる程その右耳部に強い音響を与え、もつて多衆の威力を示し、被告人両名共同して暴行を加え、
二、さらにそのころ、被告人福田が前記拡声器の部分を前記住友所長の右耳もとに近づけ、被告人中尾、同岩佐が交互にマイクロホンの部分を持つて前記同様に怒鳴りつけ、その結果拡声器を通じて同所長をして耐えられずに右拡声器の部分を払いのけしめる程その右耳部に強い音響を与え、もつて多衆の威力を示し、被告人三名共同して暴行を加え
第二 被告人岩佐は、同日午後八時過ぎごろ、前記自治会館玄関前階段において、前記のとおり組合員から紹介を要求されていた佐藤元雪がその場から逃れることを妨げるため、同人のズボンの革帯をつかんで数分間にわたつて引つ張り、同人を自己の身辺に引きつけるなどの暴行を加え
たものである。
右各事実は
昭和四〇年六月二二日施行の第三回公判調書中の証人佐藤元雪の供述部分(中略)を総合して、これを認める。
第二章 公訴事実第一の二の(三)―暴力行為等処罰ニ関スル法律違反―の訴因を前記第三節の第二のとおり単純暴行と認定した理由
右訴因についての公訴事実の要旨は、
「被告人岩佐は、前記佐藤所長が説明を打ち切つて立ち去ろうとしたのを制止し、同人のズボンの革帯をつかんだまま『帰すな、みな坐り込め』と組合員に指示し、同人を取囲んでいた組合員のうち約四〇名に坐り込ませたうえ、『帰さん、帰るなら頭を踏んで帰れ』といいながら、約五分間にわたり同人を引きとめ、もつて多衆の威力を示して暴行を加えた」
というものである。
しかしながら、本件全証拠を総合しても、被告人岩佐が自治会館前において佐藤所長を引きとめる際に「帰すな、みな坐り込め」といつたことを認めるに足りない。もつとも、同被告人の当公判廷における供述ならびに司法警察員作成の捜査報告書抄本添付写真によれば、同被告人が組合員に対し坐るよう指示したことはあるけれども、それは佐藤所長を引きとめることをやめた後、警察官の出動がなされようとしていたので、これに対処するためにしたものであることが窺われる。
のみならず、「帰るなら頭を踏んで帰れ」といつた点についても、前掲佐藤証言でさえ被告人岩佐がいつたとは断定していないし、篠原証言はこれを肯定するものの、その時点につき明確性を欠いており、その他の証言は右の点につき確証となし難いところ、同被告人の当公判廷における供述によると、「頭を踏んで帰れ」ということはいつたが、それは、前記同様警察官が出動してくるころのことであり、自らも組合員とともに坐り込んだときである、というのであるが、右の言葉の内容からみて、もし右公訴事実にいうように同被告人が佐藤所長に手をかけて引きとめている状態であれば、そのようなことをいう必要もないと思われるので、同被告人の右供述にはかなりの信用性があるというべきである。要するに、この点についても明確な証拠がないことに帰する。
したがつて、同被告人においてことさらに多衆の威力を示したものとは認め難く、同被告人の所為はいわゆる単純暴行に該当するにすぎないというべきである。
第三章 弁護人の主張に対する判断
弁護人は、被告人らは本件において可罰的違法類型にあたるような暴力を行使したことはなく、前記第一章第三節に判示した各所為は、労働組合法上の労働組合である自労が憲法第二八条により保障された団結権、団体交渉権を行使したにすぎないものであるから、労働組合法第一条第二項による刑事免責を受けるべく、いずれも無罪である旨主張する。そこで以下に検討してみよう。
まず、失対労務者は、形式的には、公共職業安定所による各就労紹介ごとに事業主体との雇傭関係が発生・消滅する関係にあるが、失業は個人的な意思、能力とはほとんど無関係に資本主義社会において生ずる不可避な社会問題であつて、これに対処し、失対事業等にできるだけ多数の失業者を吸収し、その生活の安定を図る等の目的で制定されている緊急失業対策法は、単なる臨時的立法に止まり得ず、殊に一般企業等に就職することの困難な中高年令失業者や婦人失業者にとつては、生活を維持するうえに不可欠の存在となつており、現に同一人が十数年もの間失対事業に従事していることもまれではないとみられる。したがつて、失対労務者は、実質的には、失対事業の継続する限り、その事業主体との間に使用者対被用者としての関係が継続しているものであつて、そこに失対労務者が団結意思を形成し団結行動を行なう基盤を生じ、自労はまさにこの基盤に立脚した労働組合であると思われる。そして、本件のごとく地方公共団体に雇傭される失対労務者は地方公務員法第三条第三項第六号に規定する地方公務員特別職であつて、労働組合法の規定は排除されないのであるから(地方公務員法第四条、第五八条)、その労働条件を改善するため、事業主体に対し団体交渉権を有するものと解すべきである。
ところで、失対労務者がその属する自労を通じて公共職業安定所に対し団体交渉を行なうことができるか否かは、それが就労斡旋機関にすぎず雇傭関係の主体でないだけに問題であるが、そもそも公共職業安定所は、一般的に求職者に対して職業紹介をする義務があり(職業安定法第一九条)、しかも、緊急失業対策法の立法趣旨からみて、失対労務者たる一定の適格を有する失業者に対しては、他に就労斡旋ができない限り、これを失対事業に就労紹介することを義務的な任務とされているものというべきである。そして、失対事業に就労するためには公共職業安定所の紹介を受けることが不可欠の要件とされておるので(緊急失業対策法第一〇条)、失対労務者にとつては、その紹介の有無が就職、失職につながり、反面、公共職業安定所からいえば、それは雇入れ解雇を意味することになるわけである。しかも、公共職業安定所長は、労働行政上の一機関として、失対事業の事業主体に対しかなり強度の監督者的な権限も有しているところである(緊急失業対策法第一七条、第一八条、第二二条等)。
のみならず、前記第一章第二節において示したように、昭和三八年七月八日公布の職業安定法及び緊急失業対策法の一部を改正する法律が、同年一〇月一日から施行されるに伴ない、労働省通達により、同年一一月から、一か月単位の(長期)紹介が、同三九年四月一日から、事業主体ごとに(一括)紹介する方法に切換えられるとともに、同三九年四月一日以降失対労務者に支払う賃金が作業区分、応能区分に分類された新賃金日額表によつて定められることになつたのであるが、この方法は、それまでの方法に比して、職業安定所(長)に対し、失対労務者の事業主体ごとの集団的・継続的労働関係における労働条件についてより強く直接に決定を下す権限を与えることになつたものといえよう。いいかえると、右のような新たな方法が実施される場合における職業安定所(長)と失対労務者の関係は、それまでの方法による時期のように、ただ「使用者対被用者でない」から労働法上何ら交渉の場を有しないものと律し切ることができなくなつたのである。
以上のような諸点から考えると、公共職業安定所(長)は、失対事業に関しては、単なる就労斡旋機関たるに止まらず、むしろ、失対労務者との関係で一般企業における使用者と実質的に異ならない立場にあるとみるべきであるから、失対労務者の就労紹介の問題については、憲法第二八条、労働組合法第一条第二項の保障を準用すべく、要するに、この点に関し、失対労務者は自労を通じて公共職業安定所と団体交渉をなし得るものと解するのが相当である。
したがつて、この限りでは、弁護人の右主張は正当というべきである。
そして、前記第一章第二節に認めたように、職安側は、事件当日の朝に分会側から就労紹介を要求された際、賃金交渉を先にするようにすすめておきながら、結局これを拒否しているのであるが、この事実を分会側からみれば、それは正に分会ないし組合員の立場を無視し、これを欺いた背信的行為であるとしか目に映らなかつたと思われる。現に、客観的にみて、職安側は、当日一括紹介を実施するのが義務ともされていたにもかかわらず、当日に至るまで事業主体(徳島県土木事務所)の受入承諾が得られなかつたため、実質的に従来の方式で紹介するほかないと考えていたものの、当日の朝分会側から紹介要求を受けた際、たまたま当日が降雨であぶれになり、また、分会側が事業主体との賃金交渉を予定していたことから、そのとき直ちに紹介を必要としない状態にあつたことを奇貨とし、賃金交渉を先にせよということを口実にして、実際は、当日の紹介を中止してでも、この際あくまで完全な一括紹介を実施すべく、その間に徳島県土木事務所側を強硬に説得しようと考えていたものと推察できなくはないのである。いずれにせよ、職安側が前記のとおり、にわかに予定を変更して一括紹介を完遂しようとしたことは、まことに不手際なことであり、その累を分会組合員に及ぼした重大な失態であると評せざるを得ない(もつとも、前記のとおり、佐藤所長が磯野副委員長に対し当日紹介をしないことの了承を求めているが、分会側が紹介を希望していたことは、当日朝からの一貫した態度であつて、その了承をする筈はなく、また、同所長は、前記のような予定変更により当日の紹介を不能にしてしまつているのであるから、その了承を求めることは、分会側との合意で当日の紹介はしないこととする、という意味においては、全く用をなさないことである。)。以上のような情勢において、職安側が、ただ単に、時間がないとか、たまり場に電気設備がないとか、予定のものとは様式が変つた云々(これ以上に具体的な説明をしたとみられる証拠はない。)のような通り一遍の説明をしただけで紹介を拒否したことは理不尽たることを免れず、分会側がこれに納得せず、強く紹介を要求して職安側と団体交渉に及ぶことは当然是認されなければならない。
しかしながら、団体交渉の場においては、多少の威圧的、脅迫的言辞はありがちなものであり、それが単に言論をもつてなされる限り、労働組合法第一条第二項の保障を受け得ても、暴力の行使が許されないことは当然である。そこで、被告人らの前記第一章第三節に示した所為について考えるに、まず、それに至る経緯からみて、不紹介の理由の説明を求め、さらに紹介を要求すること自体は、その目的において正当というべきであろう。しかし、その所為のなされた場面をみると、職安側にも、非難すべき点はあつたにせよ、その局面における一応の立場があつて、遂には分会側と容易に妥協し難いほどの意見の対立を来たし、実際問題として、もはやその対立(当日不紹介)はそれ以上交渉を重ねたところで到底解消できない状態に立ち至つていたものといわざるを得ず、分会組合員がただ騒然とし、秩序ある団体交渉というより、単なる集団的抗議の場と化してしまつていたというほかない。そして、前掲関係証拠によれば、もともと一人で携帯して利用するのが普通である前記携帯用拡声器をわざわざ二人で分けて持つたうえ、被告人福田は、ことさらに拡声器を佐藤所長の耳元に近づけ、同所長がたまらず指で耳に栓をすると、さらにそれを住友所長の耳元に近づけ(同所長はたまらずこれをはらいのけた)、被告人中尾および同岩佐は、福田の右行動を認識しながら(被告人三名の位置関係等から優にこのことを推認できる)、交互にマイクロホンを通じて判示のような大声を発し、さらに、被告人岩佐は、不必要に、居合わせた村山芳樹の制止も聞かず佐藤所長の革帯をつかんで引張るなどしていることが認められるが、これらの行為は、明らかに人に対する違法な有形力の行使であり、団体交渉の場における正当な行為といえないばかりか、いかに目的が正当とはいえ、その目的を達成するに必要な、かつ社会的に許容される程度の所為とは到底いえないものである。
第四章 公訴事実第一の一の訴因につき無罪と認めた理由
右公訴事実の要旨は、前記第一章第二節に認めたような経緯から、
「被告人中尾、同福田が職安庶務調査課室において分会組合員約四〇名とともに前記住友、佐藤両所長を取り囲み、本日中の就労紹介方を要求したが、佐藤所長がこれに応じなかつたことに立腹し、被告人中尾は『今から労働出張所へ出向き全員に就労紹介をせよ』と怒号しながら、佐藤所長の右腕、革帯、ズボンをつかみ或いはその腰に抱きつき、被告人福田は同所長の左腕をつかみ、同所長を同課長席前から出入口に向け引摺る所為を数回反覆し、もつて同被告人ら共同して暴行を加えた」
というにある。
そこで、証拠を検討するに、まず、前掲佐藤証言によると「中尾であつたと思うが、服や腕をつかんで時間かけて紹介せえというように引つ張られた。また、福田であつたと思うが、腕をとつて行け行けといつて引つ張り出す格好をした。やはり一メートルや、たくさん引つ張られたときは大方二メートルも引つ張られたような記憶がある。回数ははつきりわからないが、四、五回でなかつたかと思う。中尾はさらに前から腰に手を巻きつけて抱くようにして引つ張つた。そのとき岩佐も一緒に引つ張つたと思う。福田は左手首をつかんで引つ張つた。そのとき腕時計がはずれて落ちた。」というのであるが、それ自体、引つ張られた距離や回数、さらにはその度合いについてややあいまいであり、前掲住友証言は「中尾が佐藤所長の胸のあたりへ手を持つて行つてつかみ出さんばかりの勢であつた。佐藤所長は一間半も移動させられた。口でやかましくいつていたが、引つ張つたのは一回だけである。とにかく人が一杯で誰がどうということなく、ずつと動いていた。」というのであるから、右両証言を対比してみると、被告人中尾が四、五回にもわたつて一、二メートルもの間を引つ張つた、或いは腰に抱きついて引つ張つたという右佐藤証言はにわかに信用できない。もつとも、前掲村山証言は「中尾が佐藤所長の腕をつかんで相当回数にわたり連れ出そうとしていた。」というのであるが、同被告人の行為の程度についてはかなりあいまいなところがあつて、右住友証言に照らしそのまま信用することはできない。また右佐藤証言によつても、時計を落とすに至つた原因が被告人中尾、同福田の所為にあるとは断定できないところである。
そして、公訴事実にいうような被告人中尾が怒号したとか佐藤所長の革帯、ズボンをつかんだとかの事実は、証拠上全く認められない。しかも、右の各証拠によれば、被告人中尾らの態度は「行つて紹介せないかんでないか、紹介せえ」という程度であつて、さほど強い剣幕ではなく、また、時計が落ちた際佐藤所長は「時計が落ちたじやないか、そないするな」といつて自分でそれを拾い、その間騒然さは中断するという具合であつたことが認められるのであつて、要するに、佐藤所長は、被告人中尾、同福田の所為につき別段身体的な苦痛は感じておらず、したがつてまた、居合わせた住友所長ら職安関係者もこれを制止するまでのことはなかつたことが窺われる。また、その場の騒然さは、むしろ押しかけていた分会の一般組合員らによるものであつたことが推察できるのであり、前掲証拠によれば、酩酊した組合員が暴言をはくことがあり、これを分会幹部(山田委員長ら)が制止していたことが認められる。
のみならず、その際、結局前記のとおり佐藤所長らが組合員らへの説明に赴いているが、この点について佐藤証言は「結局よく話を聞いてみると、それじやみんなにその理由を説明してくれということになつた。それだつたら一応内容を説明する必要もあるから十分納得のいくように説明しようということでみんなの居る所へ行くようになつた。」というのであつて、その場は、あくまで佐藤所長らと被告人ら分会幹部との交渉、話合いの域を出ていなかつたことが窺われる。
これらの事情と前掲被告人中尾の供述を総合すると、前記公訴事実の時点における被告人中尾、同福田の行為は、佐藤所長が、前記のとおり背信的に就労紹介を拒否し、椅子に腰をおろし容易にこれに応じない態度を示したので、その翻意を促すため、被告人中尾が佐藤所長の肩を押し上げたり、椅子に坐つているのを立ち上がらせて若干腕を引つ張つたりする程度であり、また、被告人福田が佐藤所長の手首をつかんで少々引つ張つた程度であつて、いずれも、強烈さはなく、専ら当然受けられるべき紹介を受けたいがためそれを促す行為であつたと認められる。
しかして、右認定の各所為は、外形的には一応いわゆる共同暴行罪の構成要件に該当するとみられるが、佐藤自身にとつても結局は分会側との話合いの過程における若干のいざこざであつたという程度の感じしかなく、同人に及ぼした実害ないし脅威の度合いは極めて軽微であり、前記第一章第二節に認めたような事件発生に至る経緯、右被告人両名の分会における地位からみて、組合員らのために右のごとき所為に出ることは無理もなかつたと思われ、しかも、それは前記第三章に示したような団体交渉権に立脚した行為とみられ、その目的は正当であり、その手段においてもとりたてていうほどの悪らつ性、粗暴性ないしは破廉恥性のみられるところはないのであつて、社会一般の処罰感情を刺戟するほどの行為であるとは速断し難い。要するに、右被告人両名の各所為は、前記団体交渉権の行使の手段として是認さるべく、反社会性において極めて軽微であり、昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項刑法第二〇八条に定める共同暴行罪をもつて処断すべき程度の違法類型にあたらず、実質的には、未だ、その構成要件に該当するに至らないものと解すべきである。
以上の次第であつて、前記公訴事実については、そのいうほどの犯罪行為たる証明がなく、また、前記のような証拠を検討したところから認定できる行為にとどまる限り、それは罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすべきである。
第二部 被告人岩佐の公務執行妨害の事実(公訴事実第二関係)
第一章 事実ならびに証拠
第一節 本件発生に至るまでの経緯
徳島勤労者音楽協議会(以下労音という。)は、よい音楽を安く観賞し、教養を高め、文化の向上を図るなどの目的で、同県下の労働者、学生その他音楽愛好家をもつて組織された団体であつて、会員から所定の会費を納入させ、これによつて毎月音楽会等(例会)を企画開催し会員に観賞させているものであるが、税務当局においては、右例会は入場税法にいう催物であり、会費は観賞と対価関係を有する入場料金にほかならないから、例会を主催している労音に入場税を納付する義務があるとして、これを賦課していた。これに対し、労音は、そもそも労音は会員の集合体であり、会員の自主的な討議と企画、運営によつて自らが例会を実施し、自らがこれを観賞するものであり、そこには入場税法にいう「音楽を聞かせる」者と「聞く」者との対立関係はなく、したがつて、会員以外に「主催者」なるものは存在せず、会費は例会その他の経費(活動費)であつて入場料金ではあり得ないとして、入場税納付義務の不存在を主張してきたが、税務当局との間で無用の紛議を避けるため、納付義務不存在は訴訟によつて明確にすることにして、賦課されてくる入場税額については、右訴訟で勝訴したときは返戻を受けるという留保付で、「預託」という名目をもつて一応納付していた。
ところで、昭和三七年四月から入場税が申告納税方式に切り換えられたが、労音としては、前記のとおり納税義務を争つているのに申告するのは自己矛盾であるとして、申告をしなかつた。そのため、税務当局は、国税通則法等に則り調査のうえ、いわゆる経費課税方式により労音の納付すべき税額を決定していたが、昭和三九年一月一日からは通常課税方式を採ることとした結果、労音例会における具体的な入場人員を調査する必要を生じた。
そこで、所轄の徳島税務署は、同年同月以降、労音例会が開かれるごとに、会場付近へ署員を派遣し、数取器で入場人員を調査するようになつたが、労音は、そのような調査が税金に名をかりた労音に対する組織破壊攻撃であり、会員個々人の集会、結社の自由を侵害するものであるとして、これに強く反撥し、調査のなされる都度、調査員に対し強硬に抗議を重ねていた。
そして、労音は、同年四月八日午後六時から、四月例会としてゴールデン・ゲート四重唱団公演会を開催したが、あらかじめ、前記のような税務署の調査がなされるのを見込み、前記自労徳島分会に対し、右調査に対する抗議行動に参加、支援を依頼したところ、被告人岩佐を含む数名の役員がこれに参加することになり、当日午後五時三〇分ごろ会場である徳島市徳島町文化センターに赴いた。一方、徳島税務署においては、右例会についても、入場人員の調査を行なうこととしたが、労音側との前記のような摩擦を避けるため、徳島公園から南方の右文化センター正面入口付近を注視して確認する方法を採ることにし、同税務署間税課大蔵事務官武知積らが調査員となり、右方法に適する同公園内南東隅の植込み付近に赴き、当日午後五時三五分ごろから前記調査を開始した。
第二節 罪となるべき事実
被告人岩佐は、右同日午後六時前ごろ、前記文化センター前で税務署員を警戒中、前記のように徳島公園内南東隅で入場者数を調査していた前記武知事務官を認め、直ちに同公園に至り、同事務官に対し「税務署の者だろう、何をしている」などといつて詰問したうえ、同事務官から徳島税務署員であり前記例会の入場税額等の査定のため入場者数を調査してる旨を告げられ、同事務官が公務員としての職務を執行中であることを認識しながら、同日午後六時五分過ぎごろ、同所において、「帰れ帰れ」と怒鳴りながら右手で同事務官の左肩付近を、二、三回突き、同事務官の調査を妨げ、もつてその職務の執行を妨害したものである。
以上の事実は(証拠略)
を総合してこれを認める。
第二章 弁護人の主張に対する判断
一、弁護人は、被告人岩佐の前記第二節に判示した所為は、前記のとおり労音の組織破壊を図り、かつ労音会員の集会、結社の自由を侵害するところのスパイ的で違法不当な入場人員調査に対する、組織防衛、人権擁護のための正当な抗議行為であり、その手段も武知事務官に帰ることを促すために二、三回その肩を押した程度にすぎず、なお、同事務官の職務執行はほとんど終了した段階にあつてその妨害(法益侵害)の度合も極く軽微であつたから、いわゆる可罰的違法性を欠くものであり、無罪である旨主張する。そこで、以下検討してみよう。
労音に対する入場税賦課が労音に対する不当な弾圧であるとの見方は、一の見解として簡単に排斥できないであろうし、それに対して抗議すること自体はもとより他から容喙を加えるべきことではないかも知れない。しかしながら、そのために暴力を行使することは許されないところであり、前掲関係証拠によれば、被告人岩佐の右所為は、武知事務官に対しかなり強く難詰したうえ、その左肩付近を右手で二、三回突き、そのたびに一、二歩よろけさせるほどの有形力の行使であつて、健全な抗議行為の程度をこえたものと評せざるを得ないのである。
二、つぎに、弁護人は、(一)労音には入場税納付義務は存在しないのであり、それにもかかわらず本件のごとく例会の入場人員を調査することは、労音の組織を破壊するのが目的であり、結局、労音会員の集会、結社の自由を侵害するものであつて違憲である、また、(二)本件調査は、入場税法第二四条(質問検査権)に基づくものではなく、その根拠を欠いているから違法である、のみならず、(三)本件調査の態様は、公務員の職務執行たる外形すらそなえておらないし、武知事務官の調査は本件当日午後六時五分までと定められていたが被告人岩佐の本件行為はすでにその時刻を過ぎた段階でなされたものであるから、いずれにしても、妨害されるべき職務執行は不存在であつた、と主張する。以下順次に検討してみよう。
(一) 入場税納付義務不存在ないし違憲の主張について、
前掲関係証拠によれば、労音はいわゆる人格なき社団であり、社会現象として社会生活上の一単位として実在し、社団法人に準じた地位を有するものとして活動していることが窺われるが、かかる実在は本来的に権利義務能力を欠くとみるべき理由はないと思われる。そして、入場税の実質的負担者は入場者であり、直接の納税義務者を経営者または主催者としているのは、単に徴税の便宜によるものであり、入場税法にいう「経営者」または「主催者」の言語的意味において人格なき社団を除外するものとはみられず、また、同法第八条第一項別表が法人格を有しない団体を掲げていることからみれば、同法は、個人はもとより社団といえども法人格の存否にかかわらず、同法第三条により入場税の納付義務を課しているものと考えられる。もつとも、国税通則法(三条)、所得税法(四条)、法人税法(三条)、地方税法(一二条)等では、人格なき社団又は財団を法人とみなし、相続税法(六六条)はこれを個人とみなして、それぞれ課税することにしているが、入場税など間接税は、人の生存居住等に着目しない物税たる性格を有する結果、納税者の人格の有無を問題とする必要性に乏しいため右のごときみなし規定を置いていないとみられるから、入場税法に右のごとき明文のみなし規定がないからといつて、人格なき社団にその納税義務がないと断ずることはできない。そして、労音の組織、実態からみて、例会は同法第二条第一項の「催物」、労音は同条第二項の「主催者」、観賞する会員は同条第三項の「入場者」、会員の納入する会費はその極く一部が付随的に活動費に利用されているとはいえそのほとんどが観賞の対価たる同項の「入場料金」にそれぞれ該当することは、否定できないと思われる。したがつて、労音に入場税納付義務がないとはいえない。
また、弁護人は本件調査の違憲をいうが、本件調査は、労音が税務当局と異なる見解のもとに納税申告をしないことから、やむを得ずなされているものであつて、それは別段労音例会そのものに積極的に干渉するものではなく、むしろ労音例会をそれ自体として承認したうえ、機械的に入場人員を調査確認しているにすぎないから、労音側にとつて不愉快な感じをもつことがあるとはいえ、公権力によつて労音会員の集会、結社の自由に対して制限を加えるほどのものとは到底いえない。
(二) 本件調査が法令上の根拠を欠くとの主張について、
なるほど、本件調査は入場税法第二四条による質問検査権の行使としてなされたものではない。しかしながら、申告納税方式のもとにおいては、その租税債権の確定は納税者の納税申告によることが建前であるが、もし納税者自らが申告書の提出を怠り租税債権を適正に確定しないときは、税務官庁において、当該租税債権を確定する権限を行使しなければならず、かつ、そのためには、課税要件に関する種々の調査を必要とするものである。かかる必要性から、国税通則法第二五条は、納税者が申告書を提出しない場合には、税務署長において「その調査により、……税額等を決定する。」と規定しており、本件調査はこの規定に基づいてなされたものとみられる。そして、その調査は、各税法に規定された質問検査権等によつてしかできないとみるべき合理的な理由は見出し得ないから(質問検査権は調査の実効を期するため刑罰をもつて間接強制を加えた最低限度の強制的な調査権であるとみられる。)、それに必要な範囲において、その他の法令にふれない限り、任意の方法によつてこれを行なうことができると解すべきであるところ、本件調査は、徳島税務署消費税係事務官である武知が、同署長の命により行なつていたもので、その権限に欠けるところはなく、ただその方法は、前記のとおり、一見隠微的で明朗を欠くところがあるけれども、それは、従来同種の調査につき労音側との摩擦が起こつていたことから、これを避けたためであつて、もとより違法とはいえない。
(三) 職務執行不存在の主張について、
武知事務官の本件調査は、前記のとおり隠微的なところがあり、外観上は公務員の職務執行中であると認識し難い態のものであつたことは否定できない。しかし、この種調査の職務については特定の方式を必要とするものではないから、右の外観をもつて職務執行が不存在であるとはいえない。被告人岩佐は、結局において武知事務官が調査をしていることを認識していたのであるから、右の外観は同被告人の刑責に影響を及ぼすものではない。
また、前掲関係証拠によると、労音の本件例会に対する徳島税務署の入場人員調査は、武知事務官ほか一名を第一班、他の二名を第二班とし、第一班は午後五時三五分から六時五分まで、第二班はその以後から午後六時三五分までそれぞれ調査するように分担されていたものであるところ、被告人岩佐が判示暴行の所為に出た時点は午後六時五分をやや経過していたことが認められる。しかしながら、右の時間的な分担は、戸外での人員調査という職務の性質上、多分に便宜的なものであつて、右時刻を経過すればそれと同時に全然調査の職務権限を失つてしまうというほどの厳格なものとは考えられないうえ、前掲武知積の証言によれば、武知事務官ら第一班の者は、右第二班の者が来てから、それに引継をして帰庁する予定になつていたもので、それまでは判示場所において調査を続ける義務があつたことが認められる。したがつて、形式的に右の時間経過をとらえて職務執行が不存在であるとみるべき筋合いではない。
以上一、二(一)(二)(三)について順次検討したところから明らかなように、弁護人の右主張は、いずれも理由がない。
第三部 法令の適用
被告人中尾、同福田の判示第一部第一章第三節第一の一、の各所為、被告人三名の同二の各所為は、いずれも、昭和三九年法律第一一四号附則第二項により同法律による改正前の暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項、刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人岩佐の前記第一部第一章第三節第二の所為は刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、それぞれ該当するので、以上各所定刑中、いずれも罰金刑を選択し、被告人岩佐の前記第二部第二節の所為は刑法第九五条第一項に該当するので、その所定刑中懲役刑を選択する。
被告人らの以上の各罪は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、被告人中尾、同福田については同法第四八条第二項によりその各罪所定の罰金の合算額の範囲内で、右被告人両名をそれぞれ罰金一〇、〇〇〇円に処し、被告人岩佐については、同法第四八条第一項により右選択した各罰金刑と右懲役刑とを併科することとし、同条第二項により各所定罰金額を合算し、その懲役刑の刑期および合算罰金額の範囲内で、同被告人を懲役二月および罰金一〇、〇〇〇円に処する。
被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条によりそれぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、被告人岩佐に対しては、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとする。
なお、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、被告人らに負担させない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 吉川寛吾 田村承三 山脇正道)